中越現地視察(1) いざ出発 Edit

公演場所の決定に向けて、川口町長岡市の現地視察(下見)を行った。参加者は、熊さん・ボブ・フルコ・サトル・チカ・ジョルジオの6名。

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午前8:30、熊澤号、大学学生寮出発。最初のシゴトは、朝寝坊の管理人ジョルジオを起こすことであった。いやぁ、すみません…

上信越道から北陸道。日本海は波高し。米山サービスエリアで休憩。クマとジョルはもっぱら煙草。ボブはもっぱら写真(林家ペー?)。フル・サト・チカはもっぱら食い気かな?

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中越現地視察(2) 川口町に入る Edit

熊澤号は長岡ジャンクションで関越道に入る。小千谷あたりから雪の深さがぐんぐん増す。越後川口で高速を下りて川口町の町役場がある中心地区へと向かう。信濃川と山の景色が美しい。ひとまず、図書館のある「町民文化会館」にて聞き取り開始。

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町民文化会館では、「放課後児童ふれあい広場」(学童クラブ)に参加している子どもたちが竹馬に乗って出迎えてくれた。サトルとチカは早速子どもたちの餌食となる。

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図書館の方のご案内で、隣接した「生涯学習センター」(川口町公民館)を訪問。対応して下さったのは館長の星元(ほし・はじめ)さんと、事務長の中沢昭一さん。本当に親切なご案内に感謝。

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生涯学習センターの2階には体育館を兼ねた講堂もあるが、地震のため天井が落ち、現在は「立入禁止」。公演は1階の「研修室」がいいのではないかという話になった。控え室として畳部屋の「大会議室」も借りることにする。3月5日(土)と6日(日)の11:00〜22:00を使用申し込み。

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かくして、生涯学習センターをあとにする。さいさきのよいスタートにはしゃぎ回るメンバーであった。

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中越現地視察(3) 川口町内探訪 Edit

おひるは、生涯学習センターの館長さんに教えて頂いた「丸十」で食べる。 最初、ずいぶん混み合っていて、信濃川沿いのお店の外で演出会議。 議題は、「パパ」の空手胴着の背中には「ふたりはフリキュア」にあやかって、 「なぎさ命」「ほのか命」と書くのがいいのではないかという高尚な内容。 そのうち、席も空いて、熊さんとジョルジオは「へぎそば」と天ぷら。 若者衆はチャーハンセット。

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食事のあと、田麦山小学校に向かう。学校には「がんばろう田麦山」のポスターが貼ってあった。田麦山地区の復興支援応援歌「はるかなるふるさと田麦山」の歌声が心の中でよみがえる。この歌は田麦山小学校の130周年記念の歌として作られたもので、2004年10月24日の文化祭で歌われる予定だった。しかし、文化祭は前日の地震で延期となり、今は「復興応援歌」として広く町民に歌われているという(参考)。

学校の校庭やその付近には応急仮設住宅が並び、ちょうど除雪作業中だった。小学校の正門前には「田麦山ボランティア事務局」も設置されている。道で会ったおばあちゃんに話をきくと、この地区でもこれほど雪が深く積もったのは久しぶりとのこと。子どもたちは屈託のない笑顔で雪掘り遊びに興じていた。

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そのあと、川口中学校と川口小学校を回る。川口中学校は、天皇・皇后がお見舞いに来たところ。 高級卓球台がいくつも常設されたギャラリーから体育館を見渡すボブさんの姿が怪しい。 体育館の壁には激励の寄せ書きやポスターがたくさん掲げられていた。4月からは再びまっとうな中学校教員に戻るであろう熊さんは、中学校の敷地内に入るとなぜか言葉少なに……。

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一方、川口小学校の方は、児童玄関に「川口小学校は元気です」というポスターが張り出されていた。また、「川口小学校職員・児童一同」の名で、「震災に負けないぞ!川口小スローガン」も掲げられている。「ひとりひとり希望の灯をもやす続けていこう」。

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体育館の窓や側壁が大きく壊れたままになっている。深く積もった雪に覆われた校庭は、若者衆(バカ者衆?)にとっては、絶好の雪合戦場となった。飯山線の車両が体育館の脇をゆっくり通過していく。

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中越現地視察(4) 長岡ニュータウン探訪 Edit

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川口町をあとにした熊澤号は、再び関越道に乗り、長岡まで引き返す。長岡インターチェンジで高速を下り、まずは長岡技術科学大学の「学生支援センター」へ。活動されている方はいなかったが、ここの貼り紙で、山古志村の方々が集落ごとに分散して暮らしている応急仮設住宅の詳しい所在地を確認。

右の地図は、その貼り紙をもとにして作成したものだが、このように山古志村の人びとは集落ごとに3つの応急仮設住宅群に分かれて生活している。われわれは、「新陽」→「陽光台」→「青葉台」の順で、3箇所すべてを巡り、特に集落ごとに設置されている5つの「集会所」はすべて訪れてみた。

最初に訪れた新陽の仮設住宅は温泉施設「アクアーレ長岡」からほど近いところにある。ちょうど小学生の子どもたちが雪合戦をして遊んでいた(雪合戦は大の大人がするものではない)。そのうちの二人は小学校6年生だった。その二人にいろいろ話を聞くことができた。

山古志村の小学生は、現在、長岡駅近くの坂之上小学校までバスで通学している。バス通学も、大規模校での寄り合い生活も、なかなか子どもたちには負担になっているようだ。「友だちみんなと一緒にお芝居を見るならどこがいい?」と尋ねたら、「地区の集会所がいちばんいい」と答えてくれた。しかし、集会所は芝居を上演するには手狭だ。「その次はどこがいい?」と尋ねたら、「坂之上でもいいけど、やっぱり近い青葉台かな」という答。

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子どもたちが遊んでいた場所は集会所のすぐ裏。熊さんを誘ってその集会所を訪れてみた。ちょうど地元の方がワラ細工をされているところだった。その隣では、男の子と女の子がジグソーパズルで遊んでいた。うしろの壁には上越市立城東中学校から届けられた激励ポスター。それを見ながら熊さんと二人でお茶をご馳走になる。パズルは男の子の方が先に完成して、「やったー!」と叫ぶ。その上の壁には、千羽鶴と並んで、ヘア・デザイナーの田中トシオさん(山古志村出身)の書が掲げられていた。「帰ろう/大好きな山古志村に/帰ろう/時間がどんなにかかっても/帰ろう/皆んなで力を合わせて/帰ろう」。

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引き続いて、陽光台の仮設住宅地に向かう。白く塗られたドラム缶で造られた「希望の鐘」の前で、若者衆を写真に収める。彼らは普通の表情で写真に収まることがない。住宅地の中を巡っていると、仮設住宅の外壁に応急の物置を作っているおじさんと出会った。「いやぁ、シロウトだから、どうもうまくいかないよー」と苦笑しておられたが、いや、どうしてなかなかの手さばき。その先で、飼い犬と戯れていた小学生を発見。5年生とのこと。「お芝居見るならどこがいい?」と尋ねたら、「う〜ん、どこでもいいけど、坂之上はイヤだな」とのこと。「どうして?」とさらに訪ねると、「だって、ひとが多すぎる」というのが答。なるほど。

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仮設住宅地めぐりの最後は青葉台。サトルとチカが集会所で区長さんのお話を伺っていたころ、ジョルジオは路地で子どもたちと遊んでいる(子どもたちに遊ばれている)スミダさんと出会う。スミダさんは大正大学の学生さんで、友人と二人で茨城県土浦市から「ぶらっと」ボランティアに来ているのだそうだ。子どもが勝手に他人の家から持って来たプラスチックのスコップは壊れるワ、自分の携帯電話は子どもに取り上げられるワで、なかなか大変そう。仮設住宅の敷地には、「帰ろう!! 山古志へ」のノボリ旗が随所で風になびいていた。

うちのバカ者衆(若者衆)も、集会所横の雪山で、しっかり子どもたちに遊んでもらった。そのすきに、熊さんとフルコとジョルジオの3人は、「長岡ニュータウンセンター」の調査。畳敷きの和室の向こうに、外からは見えない講堂があるのかもしれないが、結局確認できなかった。芝居をやるにはあまり適していないということで熊さんと意見が一致。その間、バカ者衆はずっと子どもたちとおバカをやっていたようで、もうびしょびしょ。憎まれ口ばかりたたいていた子どもたちは、熊澤号のあとをずっと走って見送ってくれた。「きっとまた来るからな〜」とそれに応える。

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いや、しかし……。若いということは(そして、バカいということは)、とても素晴らしいことだ。今回の中越の旅、最初の予定では熊さんと二人だけのつもりだったが、若者衆が一緒に来てくれて本当によかった。

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中越現地視察(5) そして上越へ戻る Edit

山古志村の人びとが暮らす三つの仮設住宅地のほぼ中心に位置するのが、長岡市立青葉台小学校だ。今回の旅の最後の視察地がここ。残念ながら、校舎や体育館の中の様子を知ることはできなかったが、何となくここで公演ができたら一番いいなという気になってくる。

そして、熊澤号に全員乗り込み、上越への帰途につく。ホント、熊澤号にはお世話になった。あの広さがなければ若者衆全員が同行することはできなかった。ドライバー熊さんの心優しい運転も印象的だった。いよいよ中越をあとにしようというとき、チカくんなんかは、もういったい誰なのかわからない表情になっていた。泣くな、チカ!

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旅の最後は、米山サービスエリアでの集合写真。いやー、みんな、お疲れさま。いい旅ができたと心から思う。

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さてと……、それでは恒例の「反省会」。場所は「ひざまくら」。熊さんは今週2回目らしい。何といっても、料理の目玉は「きつね焼き」。料理をガツガツ、焼酎をグビグビやりながら、芝居談義に花が咲いた。

熊さんのアジテーション。曰く――。

演出として役者に望むことは、演技のうまさといった表面的なことではなく、 劇をやることへの一生懸命さや必死さ。 それはただがむしゃらにやるということではなくて、 中越の子どもたちへの思いや劇に対する熱意が伝わることが大切。 とにかく「一生懸命さ」が伝わればよい。 他人のためではなく、自分のためにやっているのかもしれないが、 「オレはこれが伝えたくて一生懸命やってるんだ」ということを 観客に伝えてほしい。ヘタかもしれないけれど、ウマい・ヘタに こだわらず、自分の伝えたいことを持っていてほしい。

これに対して、チカくん即反応。

どんなに一生懸命かという必死さを伝えたい。 オレはそれをいつも求めてやっている。

ところが、つむじ曲がりのあまのじゃく、ジョルジオはこんなことを 言い出す。

「一生懸命」は命を懸けると書き、「必死」は必ず死ぬゾと書く。 そんな言葉づかいはできれば避けたい。いずれこの土地を去るかも しれないが、今の自分にとってこだわりのあるこの土地で、今何かを やっていることの「楽しさ」が伝わることが大切だと思う。 ヘタでいいから、だからこそ、少しでもウマくなろうとすることにこだわって、 何がわからないけど、とにかくやってみよう。

かくして、「反省会」は大舌戦へともつれこむ。名言のいくつか。

  • オレは、役者のプライド、魂を大切にしたい。 役をしてたら汗もかく、息も切れる。 だが、汗をかいていたとしても、それを感じさせない演技がしたい。 それを見てもらうことで、「一生懸命さ」が見る側に伝わるはずだ。 [by サトル]
  • 芝居を作るって、ぶつかっていいんですね。これからやる芝居のビデオを 見るって、コワいことなんですね。おー、こえ〜! おもしれ〜! やってる ことがすっごくあやういことに思えてきた。 [by チカ]
  • 今回、芝居に参加したのは、自分の何かを変えたかったから。何かを変えていこう。 これは一種の革命ですよ、自分の中の。 [by フルコ]

若い人たちとの交流の中で、私も自分の何かを変えていくことができればいいナと 思っているが、はたしてどんな具合に展開していくことだろうる

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かくして、最後は熊さんと二人、誰かが飲み残した焼酎のオンザロックを半分ずつ分け合って乾盃。先は長そうでもあり、また、短そうでもある。

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ジョル 「ではまあ、一生懸命、必死にやりまひょ!」

熊さん 「いや、こうなりゃ、とことん楽しむのだ!」

ジョル 「しかし、役者のプライドと魂が……」

熊さん 「ははは。一種の革命なのだ!」

ジョル 「お〜、こえ〜! おもしれ〜」


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