note/2005-01-29
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***&aname(i2f04ac18){『演劇工房じゅ★えん』誕生物語 誕生前夜}; [#aad80f35] あの日、10月23日がすべての始まりだった。私は&color(blue){埼玉にある「きらり☆ふじみ」};というホールの研修室で&color(blue){平田オリザのワークショップ};に参加していた。これも後から考えると何かの因縁だったかもしれない。もちろんサトル君と&color(blue){「キャラメル台本};を上演したいと話していたことが伏線として存在していた。 最初の揺れは午後最後のセッションが終わろうとしている時だった。関東でも地震はある。多くの場合東北地方の太平洋沖が通例だ。その時もそう思った。夕食休憩に入り、近くのラーメン屋のテレビで、震源が新潟であると知ったときの驚き、しかも震度6強。家族の安否が気になる。携帯は既につながらなかった。メールを送る。夜のセッションに戻るため、屋外に出ると電信柱が左右に大きく揺れた。2回目の余震だった。「とりあえず無事。避難しました」と返信が届いた時の安堵感は今も忘れない。折り返したメールは翌日まで届かなかったそうだ。 翌日、上越に戻り家族と再会した。地震の被害状況が次第に明らかになってくる。大学でも募金活動が始まり、高本さんは中越へと災害対策服もどきの服装で出かけていった。&color(blue){ボランティア、募金};。私は募金は好きではない。自分の中にある自己満足感や欺瞞といううさんくささをうまく処理できないからだ。それでも、この金が確実に何か役に立つ、と考え数回、募金箱に金を入れた。「&color(blue){自分にできること、自分にしかできないことが何かあるのではないか};。」そう考え始めたのは地震からしばらくたってからだった。 地震から1ヶ月以上過ぎ、余震も落ち着いてきた頃、夕食の話題で地震の話になった。小学校2年生の息子が言った。「&color(blue){地震って言わないでよ};」。瞳の奥に地震におびえている様子が伺えた。&color(blue){比較的被害が少なかった上越の子どもでさえ、未だにその時のショックを引きずり、「地震」という言葉を聞いただけで落ち着かなくなる。被災地で家や家族、友達を失い、避難所で生活する子どもたちの心の傷はいかばかりだろう・・};。マスコミでも子どもたちや被災した方の心のケアの必要性が話題になっていた。 私は大学院で、対話と演劇的要素がどのようにコミュニケーションに関わるのかを研究した。演劇部の練習にも参加させて頂き、お手伝いもさせて頂いた。「自分にできること」と、もやもやしていた気持ちと、研究してきたこと、横田君との話がここでつながった。&color(red){「ケンジ先生」};をやろう。&color(blue){演劇を観ている1時間半というわずかな時間でも、地震や不自由な生活のことを忘れ、楽しんでもらいたい。観おわった後に、少しでも心に夢や希望や勇気の火をともしてもらいたい};。「ケンジ先生」ならそれができそうな気がした。 話はサトル君、高本さん、館さん、チカ君と広がり、上映会による団員募集、練習開始、公演場所の選定・下見、後援取得とどんどん具体化してきた。そして今日、2005年1月29日(土)、&color(blue){決起集会};(総会)という名の宴会でほぼ正式に動き出す。軌道に乗るまではまだ時間がかかるかもしれない。問題は山積しているかもしれない。しかし、同じ志をもって集まった仲間同士、どんどん対話して子どもたちを励ますための劇を作っていきたい。なかなかメンバーの多くが集まれなかった。&color(red){今日の決起集会で思いを共有することで、われわれはそのスタートラインに立つのかもしれない};。
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#blognavi(note) #contents ***&aname(i2f04ac18){『演劇工房じゅ★えん』誕生物語 誕生前夜}; [#aad80f35] あの日、10月23日がすべての始まりだった。私は&color(blue){埼玉にある「きらり☆ふじみ」};というホールの研修室で&color(blue){平田オリザのワークショップ};に参加していた。これも後から考えると何かの因縁だったかもしれない。もちろんサトル君と&color(blue){「キャラメル台本};を上演したいと話していたことが伏線として存在していた。 最初の揺れは午後最後のセッションが終わろうとしている時だった。関東でも地震はある。多くの場合東北地方の太平洋沖が通例だ。その時もそう思った。夕食休憩に入り、近くのラーメン屋のテレビで、震源が新潟であると知ったときの驚き、しかも震度6強。家族の安否が気になる。携帯は既につながらなかった。メールを送る。夜のセッションに戻るため、屋外に出ると電信柱が左右に大きく揺れた。2回目の余震だった。「とりあえず無事。避難しました」と返信が届いた時の安堵感は今も忘れない。折り返したメールは翌日まで届かなかったそうだ。 翌日、上越に戻り家族と再会した。地震の被害状況が次第に明らかになってくる。大学でも募金活動が始まり、高本さんは中越へと災害対策服もどきの服装で出かけていった。&color(blue){ボランティア、募金};。私は募金は好きではない。自分の中にある自己満足感や欺瞞といううさんくささをうまく処理できないからだ。それでも、この金が確実に何か役に立つ、と考え数回、募金箱に金を入れた。「&color(blue){自分にできること、自分にしかできないことが何かあるのではないか};。」そう考え始めたのは地震からしばらくたってからだった。 地震から1ヶ月以上過ぎ、余震も落ち着いてきた頃、夕食の話題で地震の話になった。小学校2年生の息子が言った。「&color(blue){地震って言わないでよ};」。瞳の奥に地震におびえている様子が伺えた。&color(blue){比較的被害が少なかった上越の子どもでさえ、未だにその時のショックを引きずり、「地震」という言葉を聞いただけで落ち着かなくなる。被災地で家や家族、友達を失い、避難所で生活する子どもたちの心の傷はいかばかりだろう・・};。マスコミでも子どもたちや被災した方の心のケアの必要性が話題になっていた。 私は大学院で、対話と演劇的要素がどのようにコミュニケーションに関わるのかを研究した。演劇部の練習にも参加させて頂き、お手伝いもさせて頂いた。「自分にできること」と、もやもやしていた気持ちと、研究してきたこと、横田君との話がここでつながった。&color(red){「ケンジ先生」};をやろう。&color(blue){演劇を観ている1時間半というわずかな時間でも、地震や不自由な生活のことを忘れ、楽しんでもらいたい。観おわった後に、少しでも心に夢や希望や勇気の火をともしてもらいたい};。「ケンジ先生」ならそれができそうな気がした。 話はサトル君、高本さん、館さん、チカ君と広がり、上映会による団員募集、練習開始、公演場所の選定・下見、後援取得とどんどん具体化してきた。そして今日、2005年1月29日(土)、&color(blue){決起集会};(総会)という名の宴会でほぼ正式に動き出す。軌道に乗るまではまだ時間がかかるかもしれない。問題は山積しているかもしれない。しかし、同じ志をもって集まった仲間同士、どんどん対話して子どもたちを励ますための劇を作っていきたい。なかなかメンバーの多くが集まれなかった。&color(red){今日の決起集会で思いを共有することで、われわれはそのスタートラインに立つのかもしれない};。 ***&aname(ibc9199c1){『演劇工房じゅ★えん』誕生物語 演出方針}; [#g893f352] &size(16){''演出方針''}; &color(red){''企画の基本的コンセプト''}; *見に来てくれた子どもたちが楽しめる&color(blue){''ファンタジー''};にすること *&color(blue){''客席との一体感''};をつくること *どこにでも行って&color(blue){''出張公演''};ができること *上演等を通して&color(blue){''多くの人が応援していること''};を伝えること 《今回の条件》 &color(blue){【''台本について演出のつぶやき''】}; ▼『ケンジ先生』はキャラメルボックスが1996年に青山子どもの城円形劇場でファンタジックシアターとして初演した作品です。キャラメルボックスの劇は、役者と音響と照明が一体となって観客を劇空間に導くと考えています。タイミングが重要になります。 ▼ファンタジックシアターです。 ▼対象は小学生から中学生が中心で大人までです。(3歳から99歳の子どもたちへ・・)今回は特に小学生がメインということになるでしょう。 ▼「ケンジ先生」のモデルは宮沢賢治です。詩人、童話作家、科学者、農村の指導者、妹思いの兄、宗教家。様々な顔をもつ賢治。私が卒論のテーマとして選んだ人物でもありました。その賢治をモデルにするとどんなケンジ先生になるのでしょう。 ▼舞台は100年後の日本です。100年後、2105年の日本はどんな世界になっているのでしょう。少なくとも私はいきてはいないし、もし私の子どもが生きていたとしたら92歳。孫やひ孫が生きる世界ということになるでしょう。100年前は1905年 &color(blue){【''方法論''】};演劇は実験です。 &color(blue){【''団員状況''】};舞台経験には個人差があります。 &color(blue){【''会場状況''】};舞台は天井が低く、広くはなく、会場によって広さが違います。 &color(blue){【''基本精神''】};目的は被災した子どもたちを励ますことにあります。120%全力疾走という気持ちをもってもらいたい。どこへでも出張公演ができることが基本です。 子どもたちが楽しめるファンタジーを舞台の上に創り上げること ビデオのように通して演じられること 全体としての調和、リズム・テンポ、流れ重視。 会場との一体感 (編集中) RIGHT:記事カテゴリー: [[[演出ノート>note/分類/演出ノート]]] ---- #comment(above) #blognavi(note)